第1回目の授業を試みてみた。自然農とニワトリとの暮らしから学んだこと。

悩ましい子育て

こんにちは。kazukiです。

 

「学校を作る」宣言をしてから、早2週間。

 

10年経っても50年経っても100年経っても
半永久的に私たちの人生に
良い影響をもたらしてくれる学び、
私もしたいし、
大人にも子どもたちにも提供したい。

 

まあ、どんなのでもやってみようってことで

とりあえず、
パーマデュケーション・スクールの
イベント第1弾、開催しました。

 

「自然農体験&ニワトリと暮らす人と遊ぶ」

 

いや、ただね、知り合いに会いに行っただけなんだけどw

でもね、素晴らしい学びをしてきました。

 

本日のプログラム

午前中は、すぎな農園さんの見学に~
平飼い養鶏と自然農で自給を基本とした農を実践されている方たち。
短い時間だったけれど、子どもに収穫体験させていただいて
自然農のやり方などうかがってきました。

我が家は今年失敗に終わった協生農法、
(=雑草や木や虫とともに野菜を育てる)
リベンジしてみたい気持ちになりました。

 

午後は、ニワトリと暮らすゆうこちゃんのお家へ~
彼女は今年10月に群馬に引っ越してきたんだけど

なんと、ニワトリのぷうちゃんのために移住!

ぷうちゃんが伸び伸びできる場所を探して、
群馬の前橋市に行きついたんだそう。

ニワトリさんのために選択する人生。
素敵すぎる。

ぷうちゃんねる on Instagram: "名前はぷうちゃん。「ちゃん」だけど、ぼくは雄です。いま5.5ヶ月だから、もうちょっとで大人になるんだよ❗️"
9 likes, 2 comments - phochan_the_world on November 21, 2020: "名前はぷうちゃん。「ちゃん」だけど、ぼくは雄です。いま5.5ヶ月だから、もうちょっと�..."

https://www.facebook.com/ぷうちゃんねる-phochan_the_world-108223867779779/

 

考えなくても生きていける世の中

ゆうこちゃんがお昼ご飯を用意してくれてて
玄米とお味噌汁と漬物と天ぷら。
そして、ぷうちゃんのお仲間のハナちゃんが
一生懸命産んでくれた卵も。

1日1個卵を産み落とすそうなんだけど、
本当だったら、年に20回くらいしか産まないところ
そういうふうに改良されたらしい。
1時間かけて産んでいたことも、
見られないように陰で産んでいたことも知らなかった。

なんにも知らないで、10個150円とかで買ってたなぁ。
それって一体どういうことなのか、
考えなくてもいいように仕組化されてる。

 

お米だってお野菜だって、そう。
すぎな農園の竹渕さん宅には
小豆と大豆をとった後のさやがたくさんあった。
「一粒一粒取り出してるんだ」
って改めて考えてみるとすごいこと。

スーパーで買えば、豆はきれいに袋詰めされてる。
ましてや大福に入っていたら豆の原型すらわからない。

 

わからなくても、考えなくても生きていける。

 

食べ物に感謝しなさいって言われても
できないような世の中になってるんだ。

感謝ができないのに
感謝されることなんて、できっこない。

 

そういう、知識とかスキルとは違う
人としてより良く生きるのに
大事なことっていうか本質的なことっていうか
なかなか学べない環境を変えたいのだ。

でも、視点を変えれば全部見えるし
全部感じることができる。
難しいことではないと思うのだけど
現状の仕組みでは、難しい。

仕組み、うらめしやー

 

でも仕組みが変われば、叶うということでもあるのか。

仕組み、うらめしやー

 

大事なことも、与えちゃならない。

今書いたことは、正直子どもはわかってない。w

でも私はそれでいいと思ってる。

わからせようとしなくても、わかるときがくる。

 

その種を蒔いておくことが重要。

 

竹渕さんやゆうこちゃん、
ゆうこちゃんの移住仲間のあすかさん、
(犬8匹飼ってるんだって!今度遊びに行かなきゃ!)
桐生から一緒に行ってくれた友人たち、
みんながそれぞれが大事にしている価値観や
それぞれの生き方に触れるだけでいい。

 

あれ?なんで卵を食べる人、食べない人がいるんだろう?
なんで農薬使う人、使わない人がいるんだろう?

自分は何を選択したらいいんだろう?
自分は何を大事にしていきたいんだろう?

 

食べるのが当たり前、使うのが当たり前だと
それを考えることすらしない。

言われるがまま、与えられるがままでは
選択肢が溢れる今の時代、生きにくくなってしまう。

だから、親として教師として
これが大事なんだよって予め与えたくなっちゃう・・・

のを我慢して、待つ。

この、待つってのが難しい。

 

でも、

自立。主体性。

そういう根っこを育むためには、
やっぱりやり過ぎちゃいけないんだって思う。

自分の目で見て触れて感じて考えて
自分で選択していくこと。

うーーーん、わかってても、難しい。

 

こんな学校にしていきたい

いつもそんなことを考えては
できない自分がもどかしくて
だから、一人でやろうとせずに
みんなで育てたらいいんだってことに
行きつきました。

周りを見回すと、面白い生き方してる人たくさんいて
そんなみんなを頼って学校を営んでいきます。

だって、
ニワトリのために引っ越す、そんな生き方がある!
なんて、なかなか教われないでしょ。w

自分が信じた道を行けばいい。
選択肢はいくらでもある。どれを選んでもいい。

そう思えたら、うじうじ悩むなんてことが
なくなるんじゃないかと思うんです。
子どもも、大人もね。

 

子どもの学び

子どもたちは、伸び伸び遊ばせてもらいました。

土に触れ、植物に触れ、鳥に触れ、猫に触れ、
犬に触れ、人に触れ、我が家じゃない空気に触れ、

いろんな人やものの間で、
支えられ育まれてるってことを経験できた。

この
「自分はみんなの中にいて、大事にされている」

という感覚が、力強く自信もって生きる上で超大事。
一番根っこ、ベースにあってほしいもの。

これがないのに、上にいくら積み上げても、
ちょっと強めの風が吹いただけで、ガタガタと崩れ落ちる。
(私のようにねw)

辛いのに、必死で、汗かきながら
「私は大丈夫」
って平然を装うほど酷なことはない。

もっと余裕っぷりがほしい。ドーンて構えてないと。

 

必死、ではなくて、余裕もって

「私は大丈夫~!」
「みんながいるからへっちゃら!」
「選択肢はいくらでもある!」
「崩れたって、またやり直せばいいじゃーん!」

って思えたら、本当に強い。
そんな余裕っぷりを育むのは幼少期の経験。

あ、でも私は30半ばでそれを獲得できたので、
いつからでも遅くない。
でも早いに越したことはない。

 

その感覚は親だけで育めるもんじゃない。
そんなハイスペックな人間、なかなかいませんよ。
でも、人間関係の希薄な現代、一人で頑張らざるを得ない。

だから、今こそコミュニティの力。

そんな難しい部分を埋められるような
経営していきます。

 

大人の学び

私は、人を家に招いたり
子どもを私の友人たちの集まりに連れて行ったり
とにかく、多種多様な人と子どもが関われるようにしています。

私が、いろんな世界に首を突っ込むのも
多様な人と絡むのも好きというのもあるし
母親の役割から解放されたいという気もちも。

正直、楽になりたいじゃないですか。w

母親は私一人。
だからぜーんぶ引き受けようとどうしても頑張ってしまう。
そうすると、子どものことがうっとうしくなる。
子どもも親を。お互いにうっとうしい。
なんだか悪循環。

そこから脱するためにも
いろんな大人がいる場所に親子で参加する。

大人が一人入るだけで、
子どもの自由度が広がるし
負担も分散される。余裕が出てくる。

そうすることで、
子どもって、本当に素晴らしい存在なんだなって
客観的に冷静に見えてくる。

その溢れる思いって
何よりも大きいエネルギーになる。

 

たまたま今回は
子どもが家にいない人たちばかりで

「子どもって本当にいいよね」
「子どもを見てると大事なこと思い出す」
「すてき、かわいい、うらやましい」

みんな連呼してた。
一緒になって無邪気に遊んでた。

そういうの見て聞いて、
我が子の尊さを改めて実感した。

これはね、頭で理解できる部分もあるけど
リアルがいいんです。

自分も解放されていて
子どもたちも解放されていて
大人たちも解放されていて
素敵な人たちからのその言葉を聞くから
余計に響くんです。

役割から解放されて、一人の人間に戻る。
その時間を大事にしていきたい。

 

子は宝であることが
親も親でない大人たちもわかったら
社会は変わるよね。

そういう場をつくり続けたい。

 

また、私、格好いいこと言って・・・

自分じゃできないことを
みんなを巻き込んでやってもらってるだけなんだけどねw

 

 

まとめ

パーマデュケーション・スクール
第1回目のイベント
「自然農体験&ニワトリと暮らす人と遊ぶ」でした。

子どもがいろんな人やものに育まれている経験をすること
大人が自分を解放し、子どもの尊さに触れること

最大級の学びができました。

登園しぶりが多かった最近なのですが
この翌日は、元気よく子ども園へいった我が子たち。
満たされてるんでしょうか。

私の胸もホクホクしてます。

次はどんな学びができるでしょうか?

楽しみです!

(ゆうこちゃん宅2階から見た夕焼け空)

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