kazukiストーリー

もう、いっぱいいっぱいだよ・・・
やめたら楽になるんだろうなぁ・・・

 

 

ふう。 いかんいかん。

 

頑張れば終わる、終わらせれば楽になる!よーしっ!
甘いもの口に入れて、気持ちを切り替えて、また頑張る。

頑張る、頑張る、、つらくなる

・・・

 

コーヒー飲んで、よーっし!って気合入れて、
また頑張る

頑張る、頑張る、、つらくなる

・・・

 

そんなループにはまっていた私。
そう、頑張れば終わるんですよね。

仕事も人生も辛いもの。我慢はつきもの。
どうあがいたって何も変わらない。変えられない。

今を耐えれば終わるんだから。
グダグダ言ってないで、やっちゃおう。
とりあえず終わらせよう。

 

”何かが違う”っていうのを感じながらも
そこに向き合うことをしてこなかった。

違和感に気づかないふりをして
表面的には何でもないように見えて

心にはポッカリ穴が空いていた・・・

 

 

小学校の教員だった私。とても忙しかった。

終わらないのは自分に何かが足りないからだと
無理をして、我慢して、頑張り続けて。

いつの間にかやりがいなんか忘れて、
ひたすら目の前のものをこなすことに必死になって、
自分を見失って、いっぱいいっぱいになって、
それでも頑張って、頑張って、やってきた。

育児もまったく同じ。
もう限界!と声なき声で叫びながら、
「でも私がやらなきゃ・・・」って休むこともできず
イライラしては罪悪感と後悔。

自分も家族も大切にできないままに
それでも毎日を必死でこなしているような日々だった・・・

 

でもね、見つけたんです。わかったんです。

 

私の本当の気持ち。
私が本当に大事にしたいもの。
本当にやりたいこと。
私がここにいる意味。
私は何を持っていて、どう役立たせていけばいいか。

それは、無理をすることでも我慢することでもない。
身を削りがんばってやることでもない。

私の中にすでにあるものを活かすということ。
ありのままの自分を磨くということ。
自分を大切にするということ。

すべては自分の中にあった。

 

その自分の中にある答えに
どうやって気づいて、可能性の扉を開いてきたのか

それをkazukiストーリーとしてまとめました。

順調だった教員初期

大学を卒業し、小学校の教員になった私。

元々まじめな性格で
任されたことはちゃんとやるのが当たり前だった。

業務雑務も、子どもたちに向き合うことも、
一つ一つ丁寧に、より良い仕事となるようにがんばっていた。

時間をかければかけるだけ、いいものができる。
2年目、3年目と、少しずつ責任のある仕事を任せてもらえるように。

周りからの評価も嬉しいし、
子どもたちの変化成長に関われている自分が嬉しかった。

 

異動でぐらつき始める

初任から若手と言われるようになり、
仕事量も内容も多くなり、濃くなってきた。
4年目で結婚もした。

仕事もプライベートも少しずつ忙しくなるけれど、
自分の力量が試されているかのようでもあり、
チャレンジもしながら、楽しみも見つけながら、がんばっていた頃。

 

6年目に初めて所属校の異動。

 

初任校の3倍規模の学校だったため、戸惑いもあった。

さらに、このあたりから
若手ではなく、中堅として扱われる。

 

ここで私は何ができるんだろう。

 

キャリアの変化は、自分に向き合うきっかけになった。

同世代でバリバリ仕事をこなして
子どもたちにも保護者にも慕われてる同僚を見るたびに
すごいなーー って思ってた。

と同時に

 

私なんて何もできていない・・・

もしかしたら向いてないのかもしれない・・・

 

そんな気持ちも抱きはじめた。

 

教師として認められた喜び

そんなとき、私の道徳の授業が教育委員会の方の目に留まった。

年に数回、スキルアップのために授業を見てもらう機会があり、
そのときの私の授業を気に入ってくれたらしい。

 

「一緒に道徳を盛り上げていきましょう。」

 

そうオファーされ、道徳研究員として動き始めることに。
クラス担任をもちながら、研修会を企画運営、市内県内の若手指導にも回った。

 

単純に嬉しかった。
認められた、と思った。

 

「何もない自分」ではなく

「道徳と言えばkazuki先生」と言われるなんて。

 

しかも、私にとって道徳は興味深い教科だった。

考えても考えても答えが一つではないところ、
「生き方」を学べるところ、
研究しがいがあり、楽しかった。好きだった。

 

教員が向いていないと思っていたけど、
大変な分だけ、やりがいもある。

自分がここにいる意味を感じられる。

 

でも・・・

 

葛藤の日々

でも、どんどん疲れは溜まってきていた。

道徳の研究校に選出され、
2年間の研究と発表、そのリーダーを任された。

そんな大きなことをやる自信はない。
チームには大先輩ばかり。

私なんて、何の力にもなれない。
道徳が好きで、ちょっと授業が上手くいっただけ。

市内の道徳指導にも回っていたけど、
それも本当は全然自信がなかった。

私なんかが物申していいの?

まだまだ何も究められていない、何もわかっていない私が、
指導だなんて、リーダーだなんて、責任が大きすぎる。

 

さらに、その時担任をしていたクラスも、気をもんでいた。
全然うまくいかない。丁寧に向き合えない。

先生!って慕ってくれる子に、私が救われていた。

 

できない自分に打ちのめされていた時期。

身が入らない。いろんなことが中途半端。やっつけ仕事。

 

 

実は、ちょうど同時期、不妊治療もしていた。
結婚4年目だったのだけど、
忙しさゆえなのか、なかなか授からない。

 

仕事も、プライベートも、できないことだらけ。
私には、どれも叶えることができない。

 

どれもこれもやめてしまいたい。
もう逃げたい。
すべてなくしたらどんなになるのかな?

本気で別の道を考え始めていた。

 

 

…そんな矢先、妊娠が発覚。

思い詰めていた心が一気に軽くなった。

 

これでしばらく仕事から離れられる…!

 

肩の荷が下り、ホッとした気持ちで、産休に入ることに。

 

傷つけていたことに気づいた育休期間

娘を出産。その育休中に二人目の息子も出産。

休んでいる間に、ヨガを習う機会があり、
ここで「アヒムサ」という言葉に出会った。

「自分を傷つけない、他を傷つけない」という意味。

 

自分を傷つけない

 

この言葉に心を奪われた。

ヨガのポーズの指導も理論のお話も
すべてのベースに「自分を傷つけない」がある。

無理のないリラックスした動き
自分自身にフォーカスした思考

今までの自分には無い視点ばかりで
新しい世界に足を踏み入れた感覚だった。

 

これまでがむしゃらに仕事をしていた。
やることが増え、責任が増え、できないことが増え、
どんどん自信をなくしていた。

 

こんな私でどう思われるかな
ちゃんとできてるかな
迷惑じゃないかな
苦手なことも人並みにできるようにならないと

 

そうやって周りの目を気にして
グッと力を入れ続けていた。

 

産休・育休は、久しぶりに「自分」に戻れた。

 

でも、ママ友との関係でも、自分の振る舞いには自信がない。
母親としてもこんな自分でいいのかと、やはり自分を否定してしまう。

 

どうしても、

 

自分じゃない自分になろうとしてしまう。

 

それが根強く染みついてしまっていた。

でも、それは、

 

自分を否定して、自分を傷つけていることと同じ。

 

 

無理しなくてもいい

もっと自分を大切にしていい

 

 

復帰を目前にして、
自分を大切にする意識をインストールできたことは
幸運だと思っていた…けれど…

 

 自分を大切にすることができない

二人の子どもを保育園に預けながら、
クラス担任として職場復帰。
慌ただしい生活が始まった。

子育てしながらの仕事は初めて。
新しい職場で親しい人もいない。不安。

 

でも、3年ぶりの仕事だし、最初はこんなもんだよね。

 

ぐらつく自分を隠しながら
これまでの経験を頼りに必死でがんばった。
がんばるしかなかった。

 

1ヶ月が経った頃、
元々体は丈夫な方だったけど、
生まれて初めてというくらい、いろんなものが出た。
ものもらい、胃腸炎、蕁麻疹・・・

 

『自分を大切に』

その言葉もチラつく。

 

それでも食らいついていた。
不安、わからない、できない、なんて言えなかった。

職場の人たちもクラスの子たちも
みんないい人、いい子たち。
夫も協力してくれる。

 

私がしゃんとしないと。
みんながんばってる。みんな支えてくれてる。

これでできないのは、私が悪い。
私の努力が足りない。私の忍耐が足りない。

 

10年もキャリアを積んできたはずなのに、
できない自分を見せられない。

軽々乗り越えている自分でいたい。

 

まただ。

自分じゃな自分になろうとしてしまう。

 

本当は苦しい。もう無理だと言いたい。

でも言えない。

 

そんなもどかしさが
3歳1歳の小さい我が子へのイライラとして表出。

最低な母親。

 

 

顔では「私は大丈夫」って笑ってしまう私、

でも、心は「助けて」って叫んでいた。

 

 

助けて・・・

助けて・・・

助けて・・・・・・

 

 

半年たって、ついに、ベッドから起き上がれなくなった。

バーンアウト症候群、うつ状態、と診断。

 

 

こんなはずじゃなかった。
一番なりたくなかった自分になってしまった。

もう生きていけない…。

 

受け入れがたい現実を、受け入れるしかなく、
休みに入りました。

 

私が幸せになれる道はあるの?

これからどうするか、
目の前は真っ暗でしかなかった。

 

私はどうしたいの?
教員を続けたいの?やめたいの?
どう生きたいの?
何のために生きてるの?
私って何?
ここにいる意味って何?

 

自分に向き合わざるを得なかった。
このまま何も変わらずに戻っても
また同じことの繰り返し。

 

でも、私、何も持ってない。

 

10年働いたって、何も得られていない。
どこいったって何もできやしない。
向いてないかもしれないけど、
我慢してがんばってやっていく他ない。

 

 

でも、

 

同じこと繰り返すなんて、いや。

 

もっと無理も我慢もしないで
清々しい気持ちで生きていく道ないのかな。

 

胸を張って
私が私であることに誇りをもって生きてみたい。

 

心の底から幸せを感じたい。

 

自分を大切にできる人生にしたい。

 

でも、

何でもない私、何にもない私、
がんばることくらいしかできない私、
人と比べてへこむような私、
周りの目が気になっちゃう私、
子どもや家族のことを大切にできない私、
なのに認められたい、褒められたいとか思っちゃうような私、
社会のことも知らない、
自立もできてない、
こんな私生きてる意味あるんだろうか、

そんなダメダメな私に
心から満たされる道なんてないんだ。

 

私の目を開かせてくれた言葉との出会い

それは、正当な自己評価ができていないだけ。

 

そのとき相談していたコンサルタントの方に言われた。

 

正当な自己評価ができていない?

 

いや、だって、
私には何もないし、何もできない。
担任をしている途中で逃げ出すような人。
ずっと苦しかった。自信がなかった。
ダメな自分を何とかカバーしてきただけ。

 

こんな私に何がある?

 

でも、その新しい視点で自分を見つめていくと
偏った自己評価をしていたことに少しずつ気づいていった。

 

不当に自分を低く見積もって
できない、無理だと決めつけて
自分で自分を閉じ込めていたんだ。

 

そして、
自分を知るワークに取り組んだ。

主観で判断せずに、
客観的に自分を知るために。

 

自分じゃない自分になろうとせず、

今度こそ本当の自分で生きるために。

 

本当の私を曇らせていたもの

その道の途中で、仲間に出会った。
これからの人生の方向性を探っている仲間。
がんばりすぎる人生、苦しくなる人生はもうやめて、
ありのままの自分、本当の自分で生きていこうとしている人たちだった。

 

自分をさらけ出すことは、怖いことでもあったけど、
その仲間たちとの間には、
どんな自分でもいい、それが自分らしさなんだというベースがあった。

 

そんな安心・安全な場であったからこそ、
こんな自分、あんな自分を出せて、
そして、自分でも気づいていなかった自分に出会っていった。

 

そこでわかったのは、

自分に対して「いい・悪い」をジャッジしてたのも
「こうすべき」「このほうがいい」と基準をつくっていたのも
外側の人たちではなく、全部自分自身だった

ということ。

 

その無意識になんとなく持ってしまっていた判断基準が
私を苦しめ、曇らせていた。

 

こんな自分じゃダメだ、もっと良くならないとって
自分を下げ、自分を追い立てる思考の癖を
いつの間にかもってしまった。

 

そうではなくて、

強みはこう活かそう
弱みはこうカバーしよう
その考え方面白いね
もっと楽に考えよう

そういう空気が流れていた。

 

ありのままの自分が許されている というのか
みんなと違うのがその人の味 というのか

本当の自分、まるごとの自分をちゃんと認識して、
「自分」として生きていく

 

そんなはじめての感覚だった。

 

胸を張って生きるって、こういうことなんだ。
自信って、全部が完璧であることとは違うんだ。

「道徳」「生き方」の勉強を、一からやり直しているかのようだった。

 

私が私らしくいられる基準

自己探求にはまり、
いろんなツールを使って「自分」を解明していった。

私って、
本当はこれが好きなんだ。
本当はこれが得意で強みなんだ。
心の底から望んでいることはこれなのね。
これだけは譲れない。
自然と湧き出る泉のような情熱も想いもある。
この経験もこの出来事も、ここに繋がっている。
あぁ私はこのために生きているのね。

 

知れば知るほど、
掘れば掘るほど、
人生の一貫性が見えてきた。
自分がここにいる意味がわかってきた。

 

人生のミッション
これからの方向性

 

間違いない、これが私の軸となるもの。

 

私の中にある私を私たらしめる大事な要素を
これでもかってほど出して出しまくって
そこから抽出したエッセンス。

 

世間一般の判断基準ではない、
私が私らしくいられる、私の基準。

 

仕事も家庭も人間関係も
それに沿って選んでいくことでこそ
私は幸せになれるんだ。

 

何もないと思っていた私の中に
すべてがあった。

 

私のこれまでは
ここにたどり着くためだった。

 

もう折れない。
もうブレない。

強くしなやかな私の芯。

 

自己探究をして手に入れたもの

現在は教師を退職して、
フリーランスで「自分を知る」ことを通して
人生をより良くしていくサポートをしています。

仕事として確立するまでにも
自分を見つめて、芯を磨いてきました。

ライフステージの変化や時代の流れ、出会いによって
やりたいことも、必要なことも変わっていきます。
その度に自分を知ることは欠かせません。

知れば知るほどに深まり、
自分の可能性に気づいていきます。
自分の存在の素晴らしさにも。
そうしてまた力が湧きます。

そして何より、
自分がより自分らしくなることで
子どもも伸び伸び、生き生きと変化し
夫婦関係も良くなりました。

自分を信頼することができて
他者を本当の意味で尊重できるようになった。

自分を大切にすることが
子どもや家族や
そして社会も大切にすることに繋がる。

そんな素敵な循環を感じています。

 

やるか、やらないか

そんなの、特別な人だけなんじゃないか?

特別な人なんかいない。
特別じゃない人もいない。

みんな同じ「人」だし
みんな違う唯一無二の「人」でもある。

 

大事なのは、

自分の中にあると信じられるか。
自分を諦めなかったか。

そして、やると決めてやったか。

そういった意識の持ち方や
一つひとつの選択や行動が
人生を左右するものなんだと思います。

 

でも、そうしていきたいけど、
一人でやるには時間もかかるし
やり方もわからない

そんなふうに迷っている間にも毎日は刻々と過ぎていき
せっかくの人生を見直すチャンスを逃してしまうのでは
もったいない。

少しでもより良い選択ができるように、
ブログやSNSを読んでもらえたら嬉しいです。

 

さらに、もっと効率よく自分を知る作業が進められるようにと
メール配信も始めました。

内側あるリソースを紐解き
自分らしさを見つけ
そして自分を活かした人生へと
ステージアップしていく

そんな内容をお届けしています。

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おわりに

違和感を無視して心を置き去りにして
がんばり続けるのはもうやめよう。

自分の外側を武装で固めるのも
もう終わりにしよう。

それは本当の強さじゃないから。
いつか崩れてしまうから。

 

それよりも、
内側から自然に湧き出る
枯れない泉を見つけよう。

そして、あなただけの人生ストーリーを描こう。

 

無理も我慢もなく
自分にとって本当に大切なことに時間を割き
心の底から充実している未来を。

 

1年後、5年後、10年後、20年後、
あなたはどこにいて、何をしていますか?

心から幸せを感じているでしょうか?

 

あなたがあなたらしく輝いて歩いていることを願い、
私は私らしさを発揮し発信を続けていきます。

 

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