YouTube中毒を懸念。これからの時代に必要な才能を引き出せるか?埋もれさせるか?

つらい苦しい育児からの解放

こんにちは。kazukiです。

 

今日の話題は、
育児で困っていること。

それは、

動画を見たい!という我が子、
動画を見せたくない!という親、
両者のせめぎ合いが毎日行われること。

というか、子どもは何も悪くなくて、
私たちが親として、
どう振舞うか、
どう決断するか、
それを試行錯誤している状況です。

動画は楽です。
ワンオペの時間帯、
どうしても相手をしてやれないときに、
私の代わりに相手をしてくれます。
静かにじーっと見ているから、
家事が捗ります。

育児が下手すぎて、
すぐにイライラしていた時期は、
子どもに当たるよりも、
動画を見せていた方が、
子どもにとっても私にとっても
よかったと断言できます。
本当に助かりました。

 

でも、今、育児をマスターしつつあり、
ゆとりを持って接せられるようになり、
抱っこもできるし、
絵本も読んであげられる。

それでも子どもは、
私よりも動画を選ぶんです。

 

いやー、困った。

 

今度は、動画を見たいということに、
イライラするようになってきてしまいました。

 

どうしても、動画を見せたくない!

なぜなのか?

理由は二つあります。

一つは、
中毒性が半端ない。

もう一つは、
才能が埋もれる。

 

一つ目、中毒性は言わずもがな。

見始めると、止められないんです。

「これで終わりね」と約束しても、
必ず、もう一つ見たいってなります。

娘は律儀な方なので、
終わりの約束をしたのに、
見たい自分も抑えられなくて、
苦悶の表情。
時に、泣き叫ぶ、暴れるなんてことも。

 

夫婦で、
思う存分見せたらやめるんじゃないか?
と話したこともあります。

確かに、
息子は食べるのを止められない子だけれど、
思う存分、制限せずに食べさせると、
自ら止めます。

実は、動画も制限なく見せたことがあるんです。
大人がそばで起きていたからかもしれませんが、
朝5時まで見続けてしまいました。

それはどうなのか?
懸念は残ります。
だったら見せたくないなー。

 

二つ目、才能が埋もれること

これは私が一番避けたいこと!

動画は情報量が多すぎます。

元々、
テレビもラジオも視聴せず暮らしていました。

それでも、
実家のじじばばから与えられるもの、
保育園でお友達から聞くこと、
デパートに行って見聞きするもの、
誰かが身に着けているもの、
食べているもの、
あらゆる情報をキャッチしています。

あれがいい これがほしい
食べたい 行きたい

興味を引く情報に囲まれています。

 

動画を見続けてしまったら、
もっともっと情報漬けに・・・

その中に、人生にとって重要な情報って
どれだけあるでしょうか?

 

私は36歳になって、
自分が何が好きで、何が得意で、何がやりたいのか、
よくわからないんだ、ということに気が付きました。

面白そうなもの
美味しそうなもの
素敵なもの
かっこいい物

ほしい! 行きたい! 見たい!

そんな生活を続けていて、
心から好きなものを知りませんでした。
もちろん、自分に才能があるなんて、
思ってもいなかった。
才能ある人が、生産してくれたものを楽しむ、
単なる消費者でした。

 

ただでさえ、情報にさらされている今、
動画を無制限に見せてしまったら、
大量の情報に、
才能も自身も埋もれてしまうんじゃないか?
やはり心配です。

 

これからの時代に、各々の才能は必要不可欠

自分の才能に目覚めて以来、
そう確信しています。

消費者でなく、才能を生かして、
何かをを生み出す生産者でなくてはならない。

すでに、あらゆる解決法は、
情報として無料で提供されているから。
調べれば、答えを見せてくれる。
そういう時代です。
画一的な知識やスキルを持っているだけでは
足りないんです。

 

じゃあ、社会に必要とされるためには?

 

その子だけの、
特別な才能を持っていなければならない。

抜きん出た才能を生かして、
激しく動く世の中を、変革していける
そんな人材となっていかなくてはならないのです。

私はそう考えています。

 

めちゃくちゃ堅苦しく書きましたが、
一人一人の個性を認めるということであって、
これは私が教員時代、10年以上前から
掲げられていることではあるんですけどね。

特別な人とか天才とか、
そういうことではなくて、
誰しも心の奥に持っているもの。

 

特に、
子どもは才能が光ってますよー
尖ってますよー

 

それが、
時代の変化に追いついていない環境におかれます。
みんな同じことをやれるってことが
いいこと、とされていますよね。
一昔前の価値観を浴びてしまい、
尖っていたその子の個性(才能)が、
どんどん丸くなって、目立たなくなって、
画一的な人へと育ってしまう・・・

私も昭和の古い価値観を持っていますから、
それこそ潜在意識レベルで、
子どもに教えてしまうことがあります。

親として、時代の変化を敏感に感じ取って
子どもにとって何が重要かをしっかり考え、
伝えていく責任があると思っています。

そんなこと考えるようになったのも、
ここ数カ月のことですけどね。

 

教員時代、何もわからず、
個性を尊重しつつも、
集団生活のために、出る杭を打ってしまいました。
才能の芽をつぶしてしまったこともあったかもしれない。

才能は発芽したいし、開花したいんです。
頑張って、出したり引っ張ったりせずとも、
自然と伸びていくものなんです。
すごいパワーなんです。
だから、目立つが故に、摘まれてしまう。
儚い存在でした。

 

でも、今は必要とされています。

 

目立つことをする、尖ったことを考える、
そういう人たちこそ、
世の中を良くする斬新なアイデアを
出してくれると思っています。

子どもたちの才能を押しつぶすんじゃなくて、
磨いて、光らせ、尖らせるくらいの
教育を提供させられたらと思います。

 

いつからか、才能フェチになりましたw

 

最後に、動画もあながち悪くない?

才能の一つとして、
デジタル機器を操れるっていうのもあるなーと。

でも、それは後から身につけられるスキルの一つ。
それを極めても、ライバルがたくさんいるのは
目に見えています。

やっぱり、才能は、心の奥の方にあるもの、
自然と湧き出るものが、いい!

それを湧かせるきっかけとして、
いろんなものに触れる体験は必要だと思っています。
そのツールの一つとして、
動画を活用するのはアリかなぁ。

 

我が子がどんなことに熱中しているのか、
目の輝きや、話している言葉、動き、
など観察して、
才能出てるやんけーって思っているのが、
楽しい今日この頃。

動画とも仲良くお付き合いしていけたらいいなと
思っております。

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