自己肯定感はあったほうがいいと言われるけれど、幸せを決めるのは、自己肯定感の高さではなかった。

人生やり直し・ライフシフト

自己肯定感が低い ということで悩んでいた私。

自己肯定感が低いから
いろんなことがうまくいかない。
自己肯定感が上がらない限り
幸せにはなれない。

自己肯定感を高めなければ!
どうしたら高まるのか!

みたいなことを考えたり話し合ったり
実践してみたり
いろいろやってきたけれど、

自己肯定感が幸せかどうかを決める

ということでは
どうやらなさそうだというところに
今立っています。

自己肯定感は必要?
幸せを決めるものって?

自己肯定感かなり低かった私

私は元教員で
周りからの評価は悪いものではなかったけれど
自己評価がかなり低い人でした。
どれだけがんばってもほめられても
私なんて大したことがない人間で
心から満たされることがなかった。
「本当の私」は誰も知らない、見てくれない、
どんどん心閉ざすようになってしまいました。

2人の母親でもあって、
我が子なのに愛するということがわからず
邪魔されてる気がして怒ってしまう、
みんなみたいに楽しく育児ができない、
そんな自分に嫌気がさして
母親失格のレッテルを自ら張っていました。

 

私はここにいる必要があるんだろうか。

 

どん底まで落ちた時は、
自己肯定感どころか存在意義も揺れていた。

 

そんな私が、自己探求を始めて、
なぜそんなふうになってしまうのか理解し、
本来の自分の良さが見出せるようになり、
自分らしさが発揮される育児や働き方があるのだ!
ということがわかってきて
人生が変わりました。

 

そんな私の目から見た
自己肯定感を書いてみます。

 

自己肯定感高い人ってすごい

毎日ソファで寝そべってるだけ
それでいくらお給料もらえると思う?

自己肯定感の話題で
そんな話をしたことがあります。

年収1000万とかそれ以上とか
そんなふうに言っているのを
信じられない、と聞いてました。

自分の「存在」に対する評価って
人それぞれ。
お金がからむとまた複雑ですが。

そんなのを思い出して
でも大事なのは、
『それで幸せかどうか』
だよなぁと思ったんです。

自己肯定感あれば本当に幸せ?

毎日寝そべってお金もらえて生活して
幸せかどうか。

たぶん、幸せな人もいるんだと思う。
それはそれでいい。

「私の幸せ」は、
ちょっと違うなぁと思った。
それもそれでいい。

その人が何に幸せを感じるかって
まったく違うから。

その人が何に怖さや不安を感じるのかも
まったく違う。

それを知らずに生きていて
だいたいみんなと同じだと思って生きていて
それで違和感が拭えなくて
幸せを感じられなくて

だから私がやってる自己探求は
自分が本当に幸せになるものを探してる。
それを叶える行動をして
本物の幸せをつかむ作業をしてる。

自分が痛み苦しんでるものを探して
そこからの解放もしてる。

自己肯定感があればいいわけではない

幸せは自分基準でしかない。

幸せになるには、
ポジティブがいいとか
賃貸なのか持ち家なのかとか
自然派がいいとか
ビジネスやった方がいいとか
仲間がたくさんいた方がいいとか
自己肯定感を高めた方がいいとか

いろいろあるけど、結局、

 

自分がどうしたいか
何に幸せを感じるか
どんな人生にしたいか
どんな人で在りたいか

 

でしかない。

 

自己肯定感が低くても幸せな人

自己肯定感が低くても幸せな人もいるよなぁ

と思ったのが
そもそものこの記事のきっかけで。

自己肯定感が低いA子さん。
何をやるにも自信がなくて
作った料理もなんだか美味しくないなぁ
旦那さんにどう思われるかなぁ
子どもたちの口に合うかなぁ
家も散らかってるし
洗濯物もたまってる
私は何をやってもダメだなぁ。

でも、
家族は美味しいと食べてくれて
いつもありがとうと言ってくれて
私を愛してくれてるのがわかる。

できないことだらけだけど
私はこの家族に支えられてるなぁ。
ここにいられて幸せ。

…なんていう妄想をしてました。

 

自己肯定感は低いけど、
A子さんは羨ましいほどの幸せな世界に
生きているなぁと思う。

温かい家族と一緒にいられる
それこそが私の幸せ

であるならば、
A子さんにとって自己肯定感を高めることは
必要ない。
もうすでに幸せなのだから、
それ以上望むことはないはず。

幸せの形は人それぞれ

実は私もA子さんの状況に似てる。

教員としても、妻・母親としても
自分は本当にダメだなぁと思うけど
周りからは、
よくやってる、助かってる、
いてくれて嬉しい、素晴らしい、
そう言ってもらえる。

でも私は幸せを感じられなかった。

 

現段階では、

『私の中にある価値をもっと出したい』

という望みがあって、
それが満たされてないのだと分析している。

教員では私の良さを出しきれなかった。
ありがちな先生像・社会人像の中で立ち回っていた。

家庭ではもっと出せてない。
いわゆる一般的な妻・母にとどまっている。

 

みんなが期待してくれるものを出すのではなく
自分の存在からしか出せないものを出したい。

 

私にとっては、
それでこそ生きている意味があると感じられる。
それが存在意義であり、私の幸せの形なのだ。

平均点のある世界

その意味で言うと、
A子さんも、
A子さんの存在からしか出せないものを
出して、家族を喜ばせていた。

これを無理矢理
料理教室通って、片付けコンサル頼んで、
ってやったら、
A子さんの良さは薄らいでしまう気がする。

そのままのA子さんでいて
できることをやって
家族が喜んでくれることに幸せを感じる。
それがA子さんの自然な形。

 

家事育児の平均点みたいなのがないようである、
それがこの世界の在り方。

先生も社会人も人として、みたいな平均点も
ないようである。

そこを基準にしていたら
いつまでたっても幸せになれない。

やっぱり自分基準。

だれもが役に立っている世界

だから、
自己肯定感も高ければいいのではなくて
高いことが自分の幸せに繋がるのであれば
高い方がいいし、
そこは関係なく幸せを感じられるのであれば
低いままでもいいんではないか。

 

自分の幸せがどこにあるのか。
自分の存在価値は何なのか。
その価値は生かされているのか。

 

そこを探求するに尽きる。

自分の内側に答えがある。

 

存在価値とかいうと
そんなのないって反応されるけど、
それもなんらか平均点を見てるからで、
自分基準での満点を目指す。

自然に溢れるままに出せるように目指す。

 

それが、無理も我慢もない世界。
みんながみんなのために当たり前に貢献する世界。
存在が貢献してる世界。

それをつくっていきたい。

まとめ

自己肯定感は必要か?

過去、自己肯定感低かった私だけれど、
今は、高いところにいる。

私は、高めようと努力してない。

自分基準、自分軸、
本当の自分でいること、
自分が望んでいる現実をつくること、
そのために自己探求してきた結果、
自己肯定感が高まった、と言える。

 

だから、私の見解は、
自分の幸せを自分基準で求めていけば、
それでいい。

 

「自分基準」
何に幸せを感じるか
それを自分でわかっているかどうか
その幸せをつかむために生きているかどうか

 

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