「親切心」がいつの間にか「押し付け」になってない?夫婦、親子、職場、仲間、どんなコミュニティでも大事にしたい2つのこと。

人生やり直し・ライフシフト

こんにちは。kazukiです。

 

都会マンション共働き暮らし

から

脱サラし、田舎移住決断

そして

古民家改修の間、実家居候

そしてそして

工事完了!
遂に新生活スタート!!

 

まだまだ住環境整うまでには
時間がかかりそうって記事にしましたが

脱サラ田舎移住、古民家リノベ、はぁ~悩みは尽きない!私らしく生きるって、むずっ!
こんばんは。kazukiです。 やっとやっと新居での生活が始まりました! 祖母の家を直して住むと決めてから約8か月 長かった~~~ ここに来れば、私らしい生き方ができると思って 夫に脱サラしてもらい、首都圏から田舎...

 

新居での生活5日目にして
とんでもなく大きい心の変化を感じたので
文章にしたくなりました。

 

嫌でたまらなかったことが、感謝に変わった

実家の母が
郵便物がきてたよーって
届けに来てくれました。

車で10分以内の近距離。

それでもわざわざ来てくれるなんて
ありがたい。

 

帰る間際に
洗濯機がまだない我が家を思って

「洗濯しにおいでよ」

と言ってくれて

コインランドリーがあるから大丈夫なんだけど
これまた、ありがたいなーって。

 

この感謝の気持ち、
私にとっては
当たり前のようで、当たり前でない。

 

だって
居候中は
そういうのが嫌で嫌でたまらなかったから。

頭では感謝すべきところなんだとわかってる。
でも心は嫌で嫌でたまらない。

 

一言で表すならば

「余計なことしないで」

 

でも
新居に移ったら
自然と感謝の気持ちが湧く。

 

嫌なこと → 感謝

 

これは一体どういうことなのだろう?

 

ほしかったのは親切ではなく「選択の自由」

居候中と違うことと言えば、

「洗濯しにおいで」に対して
行くのも行かないのも
私の判断で決められる。

お願いしたいなーと思えば行くし
コインランドリーの方が早いから行かないって選択もできる。

どちらを選ぼうとも、私の自由。

 

でも、
一緒に住んでいるときは
断ると
「なんでやらないの?」
「そっちの方がいいに決まってるでしょ」
「あーそうですか、じゃあもう助けない」

言葉にするときもあれば
態度で示される時もあったけど

 

まあいわゆる「押し付け」ですな。

 

もちろん発端は
親切心 思いやり
でもその価値観を強く正しいと信じていると
(もしくは盲目的にそうあるべきと思っていると)
「押し付け」になってしまう。

そういうことが何度もあると
もうすべてのことに対して
「押し付け」られちゃうんじゃないかって
私の選択の自由を奪われるんじゃないかって

怖くなって
逃げたり反発したリ無視したり
それか、
自分の自由を捧げてしまった方が楽になるなんて
諦めてしまったり

(あ、私書きながら泣いてる…)
(どうしても抑えられない衝動=DOS)

 

そうやって
心が壊れていくのを経験してきたからね
だから
私は私の人生を大事にしてるの。

 

自分の目で見て
自分の耳で聞いて
自分の五感で感じて
自分の頭で考えて
そして自分で選択する!

 

そのために大きな決断をし
ここに来たんだ。

 

嫌なことから逃げるためじゃない。

 

自分で自分の人生をつくるため。

 

選択の自由。
洗濯の自由。

なんてくだらないことが浮かんだw

 

押し付けも我慢もせず、共に生きるってできるの?

それでも一人じゃ生きていけないのが人間。
というか、
誰かと助け合った方がもっといい人生がつくれる。

でも誰かと一緒にいるということは
違う価値観の人と生きるということ。

似た者同士はいるけど
まったく同じ人間はいないからね。

 

違う価値観でぶつからないの?
どうやって一緒に生きていくの?
押し付けも我慢もない共生ってできるの?

 

それを実現していくことが私のミッションなんだろうな。

 

夫婦、親子、家族、仲間、
学校、会社、地域、国、世界、地球、
どんなコミュニティでもそう

「押し付け」も「我慢」もある。
残念なことに。

 

でも今回のことでわかったことがあって

それは

 

お互いが独立した存在であると認めること

=選択権はその人にある!

その上で、それぞれのできることで助け合うこと

=感謝し感謝される存在になる!

 

これを理解して実践すればいいんじゃないか。
押し付けも我慢もない関係性があり得るんじゃないか。

 

さっき、自分で自分の人生をつくる!って書いたけど、
それは隣にいる人も同じで
その人はその人の人生を生きてるってことを忘れてはならない。
もちろん、子どもも動物も虫も植物もなんでもかんでも。
それを否定も侵略もしてはならないって思う。
(自分で自分に言い聞かす)

 

そして、この世に生まれ授かった能力で
相手のために手を貸したり、借りたり。
それを当たり前と思わずに、感謝する。
感謝されたことも、しっかり受け取る。
(肝に銘じます)

 

そうすれば冒頭に書いた

「余計なことしないで」 が

「ありがとう」 になる

 

その方が全体にとって良い。

 

まずは小さなコミュニティから

今属しているコミュニティっていうと
主に家族なんだけど
そういうことを大事にして日々暮らしています。

それでも
子どもの言っていることをないがしろにしたり
夫にやってもらって当たり前って思ったり
ついついやっちゃいます。

でも、
自分の大事な価値観を
意識しているか、していないかで全然違う。
言葉や行動が少しずつ変化していき
それが習慣になり
私らしさになる。

だからこうして言葉にして
自分の人生のコンパスにして
進んでいくことって大事だと思う。

そうやってきたからこそ
脱サラ田舎移住なんてことも
もちろんグッと力入れたけど
実現できたんだと思う。(自画自賛w)

 

コミュニティが大きくなればなるほど
選択の自由はなくなるし
自分の能力に自信がなくなる。
これが現状として立ちはだかる。

でも不可能じゃない。
大きな組織だってできる。

 

だってその方が一人一人が輝いて
もっともっと世の中が良くなる。
みんな幸せになる。

そんな世界をつくれたらいいな~

 

まずは自分が属する小さなコミュニティから。
夫婦、親子、家族、仲間、地域って広げていこう。

はぁ~素敵な世の中になりそうだ♡

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