【自分じゃない自分で生きるか?本当の自分で生きるか?】いくらがんばっても不本意な現実がやってくるのを掘り下げてみた。

人生やり直し・ライフシフト

一生懸命やっているのに、
がんばっているのに、

いつも不本意なものになる。
いつも満足したものにならない。

 

周りからほめられて、ちょっと嬉しい気持ちになるけど、
でも、本当には満たされてないというか、
なんだか違和感が残る。

 

その度に、
私の人生って何なのだろう。
このままでいいのかな…
このままじゃイヤだなぁ…

 

でも、また同じ日々がやってくる。

自分の意志で選択して、
自分で行動してきたはずなのに、
どうして思ったようにならないんだろう。

 

私が不器用だから?
私の何かどこかがおかしい?

 

認めたくないけど、
きっと私が悪い。私に責任がある。

 

今さら能力を上げることも難しい。
この現実を受け入れるしかないんだな…

 

過去陥っていた私の思考パターンです。

今の私が言葉をかけるとするならば、

あなたが悪いわけじゃない。
”自分じゃない自分”が発動してしまっているだけ。
生きるために、それしか方法を知らなかっただけ。

 

でも、それは変えられる。

 

本当の自分で生きる道は、今からでも開ける。

自分じゃない自分

本当は我が子を愛したいのに、
ちょっとしたことで感情的に怒ってしまう。

本当は助けてほしいのに、
相手の負担にならないように自分で全部やってしまう。

本当はやりたくない仕事なのに、
任されているからがんばってしまう。

本当は笑っていられないほどつらいのに、
みんなに合わせて楽しんでいるように見せる。

本当は寝ていたいほど疲れてるのに、
時間が来たらちゃんと起きて出社する。

本当はわかってほしい、聞いてほしいのに、
立場上言えない。
強がって言えない。

本当は私の考えもちゃんとあるのに、
自分なんて大したこと言えないから、黙ってる。

 

日常にある
”自分じゃない自分”

けっこうある。
かなりある。
もしかしたら、こればかりかもしれない。

 

自分じゃない自分はなぜ発動する?

なぜ”自分じゃない自分”は発動してしまうのか?

よくよく心を観察してみると、

周りとのバランスを考える配慮だったり
自信のなさだったり
恥ずかしさだったり
怖さだったり
世間体だったり
周りの目だったり

本当はこうしたい、
けど・・・

という葛藤の末に
本当にやりたいことじゃない方を選んでしまう。

 

やりたいことをやるリスク

でも、なんで?
なんでやりたいことじゃない方を選ぶのか?

やりたいことを選んでしまうと
自分の身が危険だと
無意識に判断してのこと。

そう、無意識にやってしまっている。

 

・・・やっぱり私の責任だ。

 

そうは思わないでほしい。

「無意識」にやっている。
いつかどこかで、
そうした方が自分の身が安全だと学習したことを
「無意識」にやっているだけ。

 

やりたいことをやらないリスク

とは言え、そうやって、
本当にやりたい方を選ばずにきてしまい、
不本意な現実をつくってきたというわけ。

危険を避けるために選んだ行動は、
私たちを幸せにはしない。

脳が危険をキャッチしたとしても、
本当にやりたい方を選んだ行動は、
私たちを満足させる。

 

やりたいことをやった先にあるもの

人生を軽やかに生きている人を見ていると、
周りの目や世間体を気にするよりも、
やりたいことを伸び伸びとやっているように思う。

助けてほしいときは、助けてと言える。

自分の身体を大切に、休むときは休む。

相手への配慮にこだわらず、
時にわがままに自分を突き通すことも必要。

それは、
自分の望む人生を自分自身で創ろうという
強い意志があるからできる。

人生の舵は、他の誰でもない、自分が握っている。

 

まとめ

私は、
心の葛藤を感じたら、
無意識に選んでしまう前に、
自分自身によくよく聞くようにしている。

本当はどうしたいのか?
どうであれば満ち足りるのか?

もちろん、周りとのバランスも考えるけれど、
自分の選択を、相手のせいにはしたくない。

自分の選択に責任をもつ。

自分を本当の意味で大事にする。

もう”自分じゃない自分”では生きたくないから。
本当の自分で生きる道を進む。

そして、本当に望む人生を創っていくのだ。

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