これからの時代の生き方。自分探しで迷子になってる暇はない。

人生やり直し・ライフシフト

おはようございます。kazukiです。

 

先日、曽我部恵一さんのライブに行きました。

なんと、会場が、家から徒歩5分の
アウトドアショップ。

奇跡。

 

結婚前から夫が好きで聴くようになって
私も好きになって
何度かライブに足を運びました。

音楽好きな人ってかっこいいって思ってたくらい
私の人生を音楽が占めてる割合少ないんだけど
それでも曽我部さんは好きだった。

音も好きだけど、世界観なのかな。

 

そんな人のライブを
田舎に引っ越してきた私たちが
近所で聴けるなんて
奇跡でしかない。

しかも、ステージの目の前の席が空いている。

すべての巡り合わせに、ありがとうございます。

 

このライブから湧いてきたのが、

これからの時代の生き方や在り方の話。

 

・生き方、働き方で窮屈さを感じるようになった。
・何をしてても充実感がない。
・自分は何者なのか?に悩んでいる。
・何かやりたいけど、何していいかわからない。

 

そんな思いが胸にある人に向けて、書きます。

 

自分って、何者?

アコギの音、歌声、空間
もうすべて最高で、心が震えました。

 

でもやっぱり、
浸りながらも考えていたのは

 

私にできることって、なんだろう?

 

(私らしい…)

 

曽我部さんにはなれないけれど
私たち各々ができることがあるはず。

 

人の心を震わせたり
明日への活力をもたらしたり
喜びや幸せを届けたり

そういう生き方がしたい。

そういう生き方はできる。

 

知らないだけ、わからないだけで、
絶対にできる。

 

歌手とか画家とか
一般にアーティストと呼ばれるものにならなくても

仕事を通して、
いや、もう生きているだけで、
何かを提供できる人であるはずなんだけれど

学校、会社、コミュニティという箱があって
そこに自分を合わせることに慣れてきてしまって

「自分に何ができるんだろう」
「自分って何者なんだろう」

と困る、悩むんです。

 

いわゆる今は過渡期。

多様な生き方、考え方が許される時代になって
そちらの方が尊ばれる時代に変化して

今まではみんなと同じでよかったけれど
これからは、「自分」「個性」を出していく道が
どんどん広がっていく。

逆にみんなと同じという道は
どんどん狭くなっていく。

胸張って生きているかどうかにかかってくる。

 

だからこそ、
「自分って何者?」に悩む。

 

今の社会に窮屈さを感じるのは

みんなと同じ ⇔ 自分らしさ

の狭間にいるからなのかもしれない。

 

 

みんな○○を求めてる

ライブに話を戻して、

曽我部さんは歌声やギターの音を聴かせてくれる。

私は、歌もギターもできないw

 

もうちょっと抽象度を上げて考えろー私ー

 

何を提供してるって言えるんだろう・・・・・・・・?

 

って出てきたのが、

 

「体験」

 

曽我部さんは体や奏でるギターを通して
「体験」させてくれる。

曽我部さんだから、この体験ができた。

 

別の誰かだったら、また別の体験になったはず。
同じ歌でも。
上手なギターでも。

 

そして、
会場にいた人それぞれが、それぞれの体験をした。
曽我部さんを通して。

 

それが曽我部恵一というアーティストの作品。

 

世界中に何億?という歌が存在していて
かつ、視聴する媒体も数えきれない。

歌そのものが作品という時代ではないのかもしれない。

 

誰から聴くか
どこで聴くか
いつ聴くか
誰と聴くか
何をお供に聴くか
オリジナルなのか、アレンジなのか

そういうことで差をつくっていくしかない。

 

歌や曲というよりも
求められているのは「体験」。

 

私の作品

なんか、ややこしい気もするけど

そんな時代だからこそ、
私たちもアーティストになれるんじゃないかと思うんです。

以前も「作品」に関する記事を書きました。

人生でどれだけ作品を残せるか。生産者として生きることで人生の充実度が上がる。
こんにちは。kazukiです。 『人生でどれだけ作品を残せるか。』 これは私の考える幸せの尺度です。 音楽家でもない 画家でもない 映画監督でもない そんな私たちが生み出す作品とは...

 

私も日々作品をつくっていると思ってます。

ブログの記事が作品だと思っていたけれど

私を通して、誰かに何か体験を提供していること
それも作品なんだと思うようになった。

 

とーってもありがたいことに、
最近私に出会って人生が劇的にかわったと
言ってくれる人たちがいる。

恋をしているわけじゃないんだけど、
私のことばかり考えちゃうとか、言われたりw

私が何かを発することで、行動することで
その人の中の何かが動く。

 

思い返せば、暗黒と自ら言っている教員時代でさえ
私がやったこと、言ったことによって
子どもたちに変化や成長があった。

褒めたこと、お説教したこと、
手本を見せたこと、失敗したこと

どんなことであれ、
何かに影響を与えたはずだ。

それが、その子の生きる力になっていたら、嬉しいのだけど。

 

自分らしく幸せを提供する

「体験を提供する」

と言っても、なんかまだ難しい気もするけど

 

自分が発した一言が
相手を喜ばせたり笑わせたりしたことはあるはず。

仕事で何か物を作っていれば、
それを使ってくれたその人を助けたはずだし。

SNSで発信した内容が
誰かの心を和ませたこともあったかもしれない。

 

実は日々体験を提供し続けているんです。
意識してないかもしれないけど。

 

もし、これを意識してできたら、
人生変わってくるような気がしません?

 

自分の言ったこと、やったことで
誰かに何かをもたらして

自分は誰かを幸せにできる人って思えて

自信がついて

ますます誰かを喜ばせて

ますます自信がついて

その自信が立ち居振る舞いに表れて

幸せな体験を届ける人って胸を張れる。

自分も周りも幸せにしていける人生。

 

どうしてもできないことに目が行って
(多くの日本人の特徴)
できていること、実は体験を提供していたということが
隠れちゃうんですよね。

 

そうやって、自分の良さとか自分らしさが見えなくなって

「自分って何者?」「何ができるの?」

に迷い込んでしまう。

 

何者?何ができる?に
答えが出せなくても
(明確な答えがほしいのも日本人の特徴)

今までやってきたこと、
今やっていること、
そこをちょこっと振り返るだけでも変わってくるはず。

 

新しい何かを生み出すんじゃなくて

もう持っているし、
もう出している。

 

がんばらないで、気張らないで、
何者?ってドツボにはまらないで、
自分らしく何かを提供できる人生を送りたいものです。

 

(新作レコードにサインしてもらいました。)

(レコードプレーヤーなんぞ持ってないのにw)

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