自分の内側にある「やりたい」「好き」が大切だと考える私。
公立の学校は「やりたい」を制限されてしまう場所。
学校には行きたくない娘。
思い悩む親。
・・・
娘の登校渋りを受け止めつつ、
学校以外の選択肢を模索している我が家なんですが
毎朝、
「行きなさい」とも「行かなくていいよ」とも
言い切れない自分にモヤモヤするんです。
私の中にある想いを文章にしました。
娘の登校スタイル
小学校1年生の5月末くらいから
登校を渋り始めた娘。
入学してから1カ月半は
思った以上にスムーズに登校するので
親としては嬉しくもあり寂しくもあり、
何より驚きが大きかった。
というのも、
年長さんの冬あたりから、
「行きたくない」ということが増えて、
最後の1か月はほとんど登園せず
最後の卒園式とその直前だけ行った
そんな娘だったので。
ランドセルや小学生というものに憧れていて
そのワクワクのエネルギーが4月の登校を支えてたのかな。
でもやっぱり、と言っていいのか
行きたくなくなったのです。
勉強に関しては問題ない。
計算ドリルを10分で15ページ終えられてびっくりしたし、
国語の文章づくりも思った以上に素敵に。
簡単に言うと、我が子の場合は
「自分」をしっかりもっている、というところが
登校渋りに繋がっているんだと思う。
そして、
「自分」を大切にすることに重きを置いて
教育活動を展開している
オルタナティブスクールun chat に出会い
そちらに週2回お世話になることに。
ということで、
週2回のun chatスクーリング + 週3回の学校
学校でも、教室だけでなくほっとルームという
教育相談員さんが常在している部屋も活用させてもらって。
とても恵まれている。
みんなに見守られている。
感謝しかない状況なんですが・・・
社会不適合者だった私が考える人生観、育児観
ちょっと私の話を挟んで。
私自身、これまで
周りに合わせて
顔色をうかがいながら
無理して頑張ってきた結果
社会不適合者に落ちた。
「社会不適合者」
それは私の思い込みで
狭い社会(あのときは教員という世界)に
適合できない自分なんて
いる意味がない、価値がないって
自分で決めてしまっただけなんだけど。
それから私は
閉じこもるのではなく
外の世界へ繋がる扉を開いたわけで
そしたら世界は広かった。
私の内的世界も広がった。
いろんな人がいて、いろんな場があって、
好きなことを仕事にしている人や
育児に縛られずに世界を旅してる人や
お金の捉え方の違いや
見方、考え方、生き方、
それはそれは多岐にわたっていて
ひとくくりにできない
一人一人違っていいんだ
私も私の人生を設計していけばいいんだ
やらなきゃいけないことなんてなくて
自分の心地いいことだけをやって
それを仕事にして、
人を幸せにして、
地球を幸せにして、
みんなで幸せになればいいんだ!
そうやって
人生の捉え方を変えてきたからこそ
こうして夫婦で脱サラして移住して
出会う人やものを大切にして
人や地域と繋がり
仕事をつくっていき
今めっちゃ充実している!
だから、
子どもにも無理させたくないし
好きなことを究めればいいし
逃げるのはいやだけど
やりたいくないことはやらない選択をしてもいい
そうして育児の考え方も変えてきた。
学校が合わないということ
今、娘は、
公立の学校に合わずに登校を渋っている
という状態。
その結果は私が導いてきたはずなんだけど
なぜかそれに苦しめられている。
学校が合わない。
好きなことを好きなときにできない。
やりたいくないことをやらされる。
やりたいことを制限される。
興味がない話も聞かなきゃいけない。
もっと楽しいことを追究したいのに、できない。
もっと自由に振舞いたいのに、できない。
そう、娘はクリエイティブなのだ。
自分でもっと楽しいことをつくれる。
こうしたい、こうしよう、このほうがいいよ
っていうのをたくさん持ってる。
なのに、それを出せる場がない。
現状、学校は
子どもにとって受け身でいなきゃいけないところ。
それが合わない、ということ。
でも
そんなところ行かなくてもいいよ
自分の好きを伸ばすことをしようよ
になり切れず・・・
親として学校へ行かない選択をしないのは
なぜか?
私の考える「学校へ行く意味」
やっとわかった。
私が学校との接点を断たないのはなぜか
学校に違和感を覚えつつ、希望をもっているのはなぜか
私が私らしく生きようと強く思えたのって
どうにもできない苦しみを味わったからこそ
もし私が苦しみを知らず
いつもやりたいように思ったように
生きてきたならば
こんなに時間を割いて
エネルギーつかってまで
伝えようと思わなかったはず。
ということは
苦しみを味わうこと
どうにもならない問題にぶつかること
どうしたらいいか考えるということ
それを奪ってはいけない。
辛い経験をしたからこそ
相手の辛さに寄り添えるし
相手の喜びを本気で考えられる。
それは
与えられてできることじゃない。
自分で感じて自分で考えて
自分で選んで決断して
自分で挑戦する中で
培われていくもの。
だから、
集団の中でもまれてほしいし
学校という仕組みの中で違和感を感じてほしいし
問題に立ち向かう勇気や能力をもってほしいし
そして助けてって言える信頼関係を築いてほしい
そのために学校へ行く。
それが今私が考える学校へ行く意味なんだ。
私たちがやるべきは「与える」ではなく「奪わない」ということ
親として
「受け身な人生」のレールを与えたくなかった。
だから、学校へ行かない選択もOKにした。
でも、同時に、
「好きなことだけする人生」のレールも与えてはならないんだ。
娘は娘の人生の道を切り拓けばいい。
まだ若干6歳。
親や先生や友達や学校や社会や
いろんなことを言う人たちが周りにいて
今、自分はどうしたらいいんだろう
を必死で考えているんだと思う。
そう思ったら、
悩んで考えていること、素晴らしいじゃないか!
もうすべてがベストだね!
その悩み考えている過程で
大人の力が必要になったときに
いつでもサポートできるようにしていたい。
その環境を整えることに
親として、社会の大人として全力を尽くそう。
「自立」のためには「甘え」が必要
娘は今、がんばっているさなか。
私を「お母さん」から「たんたん」って
呼ぶようになった。
たんたん。笑
4日前だったかな。
「涙ながらに休みたい」って言った日に
たぶんはじめて
「いいよ」って快く受け入れた。
いつもなら、2時間だけ行ってきな、とか
お母さん今日仕事だから、とか
どうしてもまずそれを言ってしまい
結局休むことになったとしても
私自身が割り切れずに引きずってしまいがち。
でも、
今日は打ち合わせなんだけど・・・
まあいっか、一緒に過ごしてみよう
話ができないんじゃないかと少々不安はあったけど
「今日は休み」「今日は甘えていい日」
としっかり境界線を引いて、打ち合わせに連れて行った。
娘は本当の意味で甘えを受け入れてもらえたと思ったのかな
その日から「たんたん」になった。
娘が1歳2歳のときの私は
余裕がなくて
娘の甘えを全然聞き入れなかったんだと思う。
母親に甘えてきたことがなかったので
甘えさせるということがわからなかった。
でも、娘のおかげでわかるようになってきたよ。
たんたんも日々悩み考えて成長してるよ。
悩みに向き合うことも
問題に立ち向かうことも
世界に羽ばたいていくことも
人を信頼することも
信頼してもらうことも
ベースに安心感がないとできない。
安心感があれば
自分を信じて自分の足で歩ける。
自立。
その自立のための甘えん坊は必要なんだ。
まとめ
読み直して気づいた。
学校のことをとやかく言ってしまったのだけど・・・
私自身が学校の問題点いろいろに立ち向かうことを
やめてはならない!
って自分に課してるんだなって。
問題から逃げるのではなく立ち向かう
心を燃やすような人生を送る
自分と人が心から喜ぶことをする
そんな素敵なことを書いていながら、
今日書いたことも
明日になれば変わることもあるんです。
それを受け入れるためにも
強くしなやかな心を養っていきたい。
それが私の生きがい。
私の人生観。
コメント