教師と、子育てと、親との関係と、から見えた根っこにある想い。私は私の命を輝かせて生きたい。

私の軸

今、ブランディングの講座を受けています。

「私」というブランドを育んでいく講座。

 

まず最初の段階、
とにかく自分の想いをこれでもかってほどアウトプットする。

自分についてたくさん探求してきて
これでもかってほどアウトプットしてきたつもりだったけど
まだまだ知らない自分に出会えるから、すごい。面白い。

 

今回は、

 

なぜ起業するのか?
なぜ自分の名前で生きていくのか?

 

シンプルかつ根本的な問いに
涙涙しながらアウトプットしました。

 

私の中にあるブレないもの

そこで語った

小学校の教員をしていて感じたもの、
そして自分の子どもを育てて抱いたもの、
さらに親に育てられた自分自身について、

すべてに共通するのが

 

「その子の芽がつぶされていないか?」

 

という観点。

言い換えると、

 

そこにある命の輝きが失われてないか?

 

それは私のブレない観点だった。

 

良かれと思ってやっていることが…

教員時代を振り返っても、
私も周りの同僚も、子どもたちのためにと一生懸命やっていた。

 

今、親としても一生懸命やっている。
やってない人は私の知る限りいない。

 

でも、それとは別に、
良かれと思ってやっていることが
知らないうちに子どもの小さな芽をつぶしてしまうことがある。

 

それは仕方がないこと。
でも仕方がないでは済まされないことだと私は思ってる。

 

自分に向き合う中で見つけたこと

じゃあどうするのか。
私はどうしてきたのか。

 

私の好きな言葉で

 

「人は自分を理解している深さまでしか、相手を理解できない」

 

というのがある。

 

生きづらさ

私は教員を続けられなくなり退職して
自分とは何者か?という問いにずっと向き合ってきた。

どうしようもなく生きづらさがあって
自信もなくて、人ともうまく関われなくて
そういう見たくない自分を徹底的に見つめてきて

窮屈さを抱えていたり
自分自身にジャッジメントしていたり
受け入れがたい自分を感じていたり

そんな余裕のない状態で、よくやってきたな、と思ったけど
そんなふうに生きてきた自分に出会った。

そりゃあ本当の意味での「子どもたちのために」なんて、考えられない。

 

命の輝き

そして、私の命の輝きも知った。

 

私が本当に好きなもの、
それに関わっているときの熱くなる感じ、とか

どうしても譲れないもの、信じているものがあって、
それが私らしさをつくっているんだ、とか

脈々と受け継がれてきたものもあれば、
今の私の人生をだから溢れてきてしまう想いもあって、
この私だからこそ伝えられることがある、とか

 

生きる意味、生きている実感、
残りの時間で私の命をどう使っていくか、

その見方、というのか、世界観が私の中に入ってきた。

 

それぞれにある命の輝き

これって、私だけじゃない、
隣にいる我が子にも、他の誰にでもあるもの。
それぞれの輝きがある。

そんなふうに、我が子や他者を見るようになった。

 

つまり、

私自身を深く知ることで、
子どもをより深く見つめられるようになったのだ。

 

もちろんイライラしちゃうこともあるけど、
この子の尊い命を輝かせるためには…という視点が
今の私にはある。

 

育児が、単なる育児ではなくなった。
なんというんでしょう、
命を輝かすという目的をもった育児に。

 

私が変わって、子どもはどう変わった?

同じグループのメンバーに聞かれました。

 

「そうしてお子さんたちはどう変化しましたか?」

 

実は、大して変化してるように感じないんですよね…

でも、何も知らずに気づかずにいた当時の私のままで
ガミガミ怒っていたり、
怒っては罪悪感を感じて自己嫌悪していたり、

よりは、確実にいい空気が流れていると思います!

 

目に見える変化は語れないのだけれど…

 

彼らの命の輝きが失われないように、輝きが増すように、
言葉や態度や行動にそれは表れていると思うので、
きっと子どもたちに伝わっている。

 

そして何より、私自身の命をどう使っているか、
その背中を子どもたちはよくよく見ているはずなので、
私がどう生きるか、そこに集中していればいいんだな、

そんなふうにも思いました。

 

まとめ

私は私の芽をつぶさないで生きる。
私の命を精一杯輝かせて生きる。

 

「人は自分を理解した深さまでしか、相手を理解できない。」

 

相手を幸せにしようと思ったら、
自分を深く深く理解して、自分を幸せにすることからなんですね。

 

それを体現する人で在りたい。

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