こんにちは。kazukiです。
昨日の記事で
変わりたいのに変われない。
変わるってことは
今までの自分を覆すことだからキツイ。
ってことを書きました。
自分で選んだ生き方なのに
みんなは続けているのに
自分は続けられない中途半端モノ。
そんなブレてる自分、カッコ悪い。
そんな思考に陥りがちな真面目ちゃんでした。
今も十分真面目だし
真面目に誇りをもっていますよ!
それは置いといて、
「ブレてる自分カッコ悪い」
ってタイピングした時に
なんか言いたいことがモソモソと
内側から出てくるのを感じたので
今日はそれを書いていきます。
ブレブレだった過去
教員時代、うつと診断されて
精神科に通っていました。
お医者さんともカウンセラーさんとも
話そうとすると、涙が止まらなかった。
泣きながら
いつも自分のことを語る時に
口から出てきたのが
「軸がない自分が嫌だ」
授業の内容も
子どもたちに話している言葉も
教職に就いたことすら
自分の強い思いはあったのだろうか?
他の先生と比べては
劣っている自分を恥ずかしく思い
どんどん自信を失っていった。
軸のある人になりたい。
でも私には自分の軸がない。
いつもブレてる。
きっとこういうのって
幼少期に培われるんだろうな
もう戻れない
もう無理なんだ
なんかそんなふうに
心のどこかで諦めていました。
でも、結論から言うと
私にも「軸」がありました。
ちゃんとその軸に従って生きていました。
軸は誰にでもあるし
それはなくなったりブレたりするものじゃない。
みんなそれを活かしていることに気がつきました。
なんでブレるの?
軸があるのに、なんでブレるの?
それは、
今やっていることが自分の軸に沿ってないから。
軸を持って生きているのに
その軸から外れたことをしているから
「ブレる」ということが生じていたんです。
今ならわかります。
私がお医者さんたちの前で
流したあの涙は、
ブレてることが
悔しいでも苦しいでもなく
今まで押し込んでた本音を出そうとしたから。
出しちゃいけないと思って
ずーーっとしまい込んでいたから
身体から引きはがすのが
痛くてつらくて、泣いた。
迷惑かけないように
みんなと同じようにいられるように
大人としてちゃんと振舞えるように
必死で自分の思いに蓋をしていたんだな。
でもそれは
本当の自分じゃなかった。
自分の好きなことでもやりたいことでも
大事にしてることでもなかった。
もともとあった自分の軸から
いつの間にかはるか遠くの方で
あーだこーだ、じたばた
やってしまっていたんだな。
自分の軸からズレてしまっただけだった。
だから、
ブレてるっていうのは
軸から外れてるという感覚であって
決して悪いものではないみたい。
ブレてることを強く感じる人ほど
軸がしっかりしているのかもしれない。
ブレてもいい
人間生きてりゃブレるってことか。
何かを必死でやろうとすればするほど
軸が引き戻しにかかるから
ブレてる感覚が大きくなるんだろうな。
でもそのブレを悪者みたいにしないで
味方につけるというか
「あ、軸からズレてるんだな」
っていうメッセージだと思うと
とってもありがたい存在。
私も今、ちょー必死w
だからブレてるー気持ち悪いーって
思っちゃうけど
自分の軸を今まで以上に意識できている
好機だとも思う。
すっごい気持ち悪いけどねww
逆の気持ちいい感覚が「軸」ってわけだから
それを探り探り進んでます。
ブレたっていい!
前進あるのみ!
まとめ
「ブレる」のは、「軸がない」からではない。 「軸はある」けど、そこから外れているというサインなだけ。 自分の軸となる「抑えてきた本音」ありませんか? ブレも味方につけつつ、前進していきましょう!
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