自分らしく生きられるようになった私。でもまだあった、私らしさを覆い隠していた深いところの思い込み。本当の自由を求めて。

私の軸

今朝、家族と交わした会話から
自分の無意識の思い込みに気づきました。

それを書き留めておきたいのと、
私の世界観を知ってほしいので書きます。

 

とてもマニアックな自己探求の話。

 

どれだけ伝わるのかわからないけど
私の頭の中ってこんな感じで
見たり考えたりしてます。

 

自分のことをより深く知って
より自分らしくなっていくことが
私にとって大切で生きがいなのです。

 

それでは、どうぞ。

 

その人の本来の性質

まず、四魂の窓のことから。
GFLという講座を受けて出会ったもの。

魂=私は本来の性質と解釈してます。

生まれ持ってきたもので変えられないもの

それを四つに分けているのが四魂の窓で
私は自分も含めて人を理解するときに、ベースにしています。

血液型占いのA型、B型、O型、AB型みたいに
人の性質を4つになんて分けられるわけがないと思うかもしれないけど
私は経験から、これは言い得ていると思っています。

 

また、これは、4つにくっきり分かれるわけではなくて、
全ての人が4つすべてを持っていて、その割合が違う。
だから人それぞれになるのだけど、

その中で一番強く持っている性質を活かして生きているか
そこが重要。

※一つ一つの解説は省きます。
興味がありましたら検索してみてください!

 

自分らしさの迷子の正体

で、私は勇の性質が強い。

ここ最近でやっとわかってきた。

というのも、
自称も他称も、ずーっと四魂迷子だったんです。
自分の本来の性質がわからなかった。

 

なんで迷子になるかというと、
これまた別の見方になるのだけど

『アーリートラウマ』といって、
子どもの頃に受け取ったものから
思考の癖というか、自動制御機能というか、
それが自分の中に備わってしまい
自分が自分らしく在れない状態をつくる。

言葉にできない心の違和感ってありますよね。
本当はこうじゃないはずなのに、なぜかこっちを選んじゃう。
なぜかいつも同じような不本意なパターンに陥る。
みたいな。

これが迷子の正体。

 

本来の性質を、覆い隠してしまうアーリートラウマ。

自分のことなのに、
自分のことがわからない。

自分らしさの迷子。人生の迷子。

 

自分らしさは軽やかさを生む

魂の性質のままに進めれば
人生が充実して幸せになれるのだけど、

自動制御機能に引っ張られて
魂の性質のままに進めなくなると
人生が苦しくなるんですねー。

※トラウマといっても衝撃的な出来事ではなく
子どもながらに欲しかったけど得られなかったものといった感じ。
でも、これが人生に大きく影響しているのは確か。

 

先天的な元々の性質なのか、
後天的にできあがったものなのか、

アーリートラウマが複雑に絡み合っていて
そこの見分けがつかなかったのだけど、

やっとやっとわかってきた。

 

勇の性質で生き始めたら、
ものすごくいろんなことが軽やかに進んでいく。

もちろん、その都度越えるべき壁もあるけど
それも魂に沿って進むと、越えられるんです。

 

『達成』の性質が強い私

勇の性質の強い人は
何かを達成することが生きがい。

そうすると、その達成を邪魔されることがとてもきつい。

四魂迷子だったけど、
この『邪魔されることが嫌い』というワードで
私は勇が強そうだな、とは思っていた。

 

私が進もうとする道を塞ぐもの、

子どもの存在も、夫の優しさも、
例えば、お金が足りないことも、信号が赤になることも、

冷静に考えればそんなことないのに
『邪魔されてる』と思うと、もう我慢できない。

 

子どものおもちゃが散らかってるのも、
景観が乱れるとかではなくて

私がこの時間で家事を済ませるために
ここにこれがあるとまっすぐ進めないんだよー!

っていう怒りの種類なのです。

 

思い込みに気づかされた

それで、今日、朝ご飯を食べてるときの会話で
気づいたことがあった。

というか、気づかされた。

 

「娘ちゃんは食べたいものをあとに残すよねー」

「息子くんは絶対先に食べるねー」

「おかあは?」

 

って聞かれて
私は、

 

「あとに残したいけど、とられそうなときは先に食べる」

 

我ながら変な答えだと思っていたら、
夫に、

 

「とられそうなときってどんなとき?」

 

って聞かれてハッとしたのだ。

 

私って、『とられる』って思い込んでる!?

 

ザワザワがサイン

好きなタイミングで好きな順番に食べるのが
ほんとーーーに幸せ。

でも、子どもが一緒だと叶わない。
誰かと一緒だと叶わない。
(なんやかんやいろいろ気を遣ったりするから)

 

私のペースで食べることを
誰かに邪魔される!

そう思い込んでる、私!!

 

誰といようが、私は私のペースでいていいはずでしょ。
食べるのだって喋るのだって何だって。

 

でも、
私のペースは何かによって乱される、邪魔される。

邪魔されたくない!

 

このザワザワする感じは魂というより
トラウマ的な気がしたのだ。

 

アラフォーになっても引きずってたこと

私は「こうしたい」がとても強い人。
それは持って生まれたものだと思う。
これも勇の性質なのか。

でも、私の母はかなりコントロールする人。

めっちゃ押し付けてくる笑

これを笑って言えるようになるまで
かなり苦労してきたけど

うまいこと言ってはぐらかされて母の道に連れて行かれる。
もう「こうしたい」とか言うことすらしなくなっていった。

 

私は、

自分の行きたい方へは行かせてもらえない
やりたいようにはやらせてもらえない
私には選ぶ権利がない

だから自分の想いを出すことはやめよう
出したらその分悲しくなっちゃうから

 

そういう自動制御機能をもつようになった。

 

それをいい年になってまで
アラフォーになってまで引きずっていたんだ。

 

私らしさを覆い隠す思い込み

私の「こうしたい」は必ず阻まれる

その世界で私は生きてきた。

 

だから、食べる順番にしても
私が食べたいものは誰かによって邪魔される

 

恥ずかしいけど
バカみたいだけど
本当に無意識にそう思い込んでた。

 

その思い込みは日常にはびこって
私の私らしさを覆い隠す。

 

ここに行きたいけど、子どもがいると無理だなー
これ飲みたいけど、カロリーがなー
これやりたいけど、みんなどう思うかなー

 

自分で考えて決めてるんじゃなくて
無意識の思い込みに引っ張られてる。

 

この違い、わかるだろうか??

 

自由の素晴らしさ

この世界は私を邪魔してくるものだらけ

本当はそんなことない。
みんなが私を邪魔してくることなんてない。

 

本当は私は自由。
自分で自分のことを決めていい。
何をどう選んでもいい。

 

正しい、間違ってる、なんてない、
これがいい、こうすべき、なんてない
みんなに迷惑をかけちゃう、
空気を乱しちゃう、なんてこともない

 

誰にでも自由は保障されてるんだから。

 

自由っていうと、
好き勝手、わがままにいきそうに思われるけど、

 

本当に自分が解放されて
自分の自由が保障されたとしたら
もっとみんな世界に優しくなれると思う。

一人一人の一番中心にあるものは
絶対にあったかいものだから。

 

その人を冷たくしちゃってるのは
無意識の思い込みや制限や縛り、
その人をその人らしくさせない
苦しくて痛い何かがあるというだけ。

 

だから

もっと真実を見て
もっと自分を信じて
一人一人が解放されることが
世界を優しくするためのものだ

と私は思っている。

 

おわりに

ちなみに、
母のこと笑って言えるようになったのは、

私は私の人生を自分の足で歩くことを
覚悟して決心して歩き始めたから。
精神的に自立したんだと思う。

 

そしたら、

母は母
私は私

ってその境界線が自然とできていった。
もう引っ張られなくなった。
(時々あるけど…)

 

そうすると、

子どもは子ども
夫は夫
あの人はあの人

って
すべて分けて考えられるようになる。不思議。

 

もし、自分の「こうしたい」を大切にされて育っていたら
この世界は私を応援してくれてるって思えていたのかもしれない。

それはそれでよかったけど、

もしその世界に生きていたら
今出会っている人に出会えなかっただろうし
今の家族ではないなんて考えられないから
これはこれでよかったんだろうな。

 

全ては今に繋がっていて
その全てを今の自分に統合することができたら
自分や人生やすべてが愛おしくなるんです。

 

過去と今を統合するお手伝いもしていますし、
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